こんにちは、今やインスタのフォロワー2,3万人、ツイッターは2ヶ月目にして2,300人。
天才インフルエンサーのエンドウです。
当ブログ初記事を飾るのはそんな私の生い立ちについて。
どんな華やかな人生歩んできたんだろうって思うやん?
さぞかし充実してたんだろうなって思うやん?
めっっっちゃくちゃ生きづらい人生だった。
(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
大した成功体験や挫折も味わず、日々なにかを消費しながら生きてました。
そんなわたしの平々凡々な生い立ちのお話をしていきます。
目次
エンドウって誰?なにしてんの?

軽く自己紹介をしておきます。
年齢:22歳
趣味:読書・映画鑑賞・考えること・ギター
職業:元歯科衛生士。現職不明。
英語情報を発信したり、イラストを描いたりしてお金をもらってます。
あとインフルエンサーとして語学留学させて頂いたり。
今はフィリピンのセブ島でノマドライフを満喫中。
小中高のモットー「絶対に人から嫌われないように生きる」
小中高と地元から一歩も出ず、保守的な生活を送っていた頃の私はとにかく自己表現が苦手でした。
「これを言ったら周りからどんな顔をされるだろう?」
「仲間外れになるのも、仲間外れにされてる自分を見られるのも嫌だから、相手に不快に思われないようなふるまいを続けよう」
いじめられたくないから、人の話に合わせるし、人からけなされても、笑ってその場をごまかす。
根性なしとは自分のことだなぁ。
そんなことを考えながらも自分のポジションは変えない。
そんな自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
自分に嘘をつき続けた12年間
外面で嘘をつき、内面ではそれを拒否する状況が約12年続きました。
そうしていると、どんどん自分の心が悲鳴を上げてくるんです。
「本当の自分はこれじゃないねんけどなぁ。」
そして友達からこの一言。
「エンドウって八方美人やんな。」
自分の身を安全な場所に置き続けようと必死になってたら、八方美人になってたみたいです。うーむ。本末転倒。
結局わたしは、いじめには合いませんでした。
しかしその分、自分自身に嘘をつき続けました。
嘘をつき続けても何も得られない、そう分かっていながら。
そして、いつか変わりたい、いつか等身大の自分で生きたい、とずっと願いながら。

暗黒時代の終末〈専門学校〉
高校を卒業して神戸の歯科衛生専門学校に進学しました。
ここに入学するまで、わたしには心から信頼できる友達がいませんでした。
誰にも本当の自分を見せていない、表面上の付き合いばかりだったので当然のことです。
「またイチから友達作りかぁ。」
しかしそこには、自分を持った人がたくさんいました。
自分の気持ちをストレートに伝えまくる人、一つ一つの言葉に芯がある人、謙虚なようにみえて、奥底にはおおきな野望を秘めた人、そして、どんな物事であっても笑いに変えてくれる人。
「おぉ、今まで押し殺していた自分を出してもいいのか。」
そう気づかせてくれました。

そして自分という存在をまるごと愛してくれる恋人にも出会い、やっと、人からの温もりを感じることができた3年間でした。
彼と歩む将来が見えたので、もしかするとゆくゆくは結婚するかもしれないな、と思っていました。
しかしふと、21歳で将来が予想できてしまうことに違和感を感じました。
人生100年時代、この若さで人生を決めてしまっていいのか?
もっといろんなことにチャレンジできる年齢なのに、若さを無駄にしてるんじゃないか?と。
あれ、わたしの人生つまらんくね?
「わたしは今、大人や社会に敷かれた長いレールの上をひたすら走らされてる。」
21歳の夏、そう気づきました。
特に大きな決断をせずともここまで来れたのはレールがあったからこそ。実際、レールに助けられたことも多い。
だけど、それと同時にオリジナリティのある生き方を貫くことに大きな苦手意識を持っている自分がいるのも事実でした。
少しレールから外れただけで安全域にいる人から異端者扱いされる事が、小中高の経験上分かっていたからです。

でもそれって、ワクワクすること?
人と同じように生きて、同じものに感動し、同じ価値観を持つことに対する居心地の悪さを感じたのと同時に、どうせなら自分にしか歩めない人生を歩もうと決めました。
「もう、正解かどうかも分からない社会への依存と、仲間との仲良しこよしごっこは必要ない。」
今こそ変わる時だ、と。
親や友人からの評価や見栄えがいい生き方じゃなくて、自分が満足できる生き方を送ろう。
定期的に1人になり、今の自分に満足しているのか問いかける時間と余裕を作ろう。
自分の存在意義は自分で決めよう。

英語との出会い
今は英語発信者として活動していますが、私は元々、英語が大の苦手でした。
まず、中学2年生の英語のテストで30点を取り、英語を勉強することを諦めました。
「なんで I am runやったらあかんの?」レベル。(ガチです)
高校に上がってからも、英語の授業は憂鬱でしたし、毎回のテストはその場しのぎでした。
当然、基礎が出来ていないので最後に受けた英語の模試の偏差値は35。
高校を卒業し、英語から解放されたのもつかの間、進学先の専門学校でも「歯科英語」がカリキュラムに組まれていました。
しかしこの授業で人生の恩師とも呼べる先生と出会いました。

先生の授業は、私たちに英語という「ツール」を使った生き方を示してくれるものでした。
海外の歯科衛生士の働く姿や、先生の自由奔放な生き方が私にはすごく新鮮で、先生の話が聞きたい!と、死ぬほど嫌だった英語の授業がとても楽しみになっていました。
それからの私は、人が変わったように英語に興味を持ち始めました。
最初は映画を観たり、洋楽を聴くだけでしたが、それだけでは飽き足らずお互いの母国語を教え合うアプリにも登録し、いつの間にか海外の友達を作っていました。
人間関係や毎日の暮らしに生きづらさを感じる性格だったので、英語が話せるようになったら世界変わるかも?という軽い気持ちで始めたアプリで、コミュニケーションで使う英語の楽しさに気づかされました。

私は、自分が使うかも分からない英語単語や文法を暗記して、使うかも分からない英語の授業を受けるのが嫌いだっただけで、思いを伝える手段として使う英語は嫌いじゃなかったんです。
むしろ勉強するのが楽しいと思うくらいでした。
クラウドファンディングで資金を調達し、1人でアメリカ縦断
英語に対する情熱を持ったまま、西野亮廣さんの「革命のファンファーレ」を読み、クラウドファンディングの仕組み、未来のお金の仕組みについて知りました。
ちょうどその頃、卒業旅行に一人でアメリカに行く予定を立てていたので、
「クラファンやりながらアメリカ行くほうが絶対楽しいやん!」
思い立ったら即行動。
本を読了する前に自分のクラファンサイトを立ち上げました。
我ながら、見切り発車がすごい。
クラファンでは一般ピーポーながら、総額90,500円もの資金が集まりました。

縦断中は、自分の価値観の変わり様を活動報告として綴っていました。

そして私が活動報告でくさいことを書き連ねていたからなのか、自分の夢や、目標を伝えてくれる方も現れました。
自分の文章で、誰かの心を1ミリでも動かすことが出来るって、とても素敵なことだなぁ、と発信することに魅力を感じ始めたのがちょうどこの頃です。
そして、こうした小さな成功体験を通して自尊心が少しずつ高まっていきました。
リンクはこれ↓
https://camp-fire.jp/projects/view/65401
歯科衛生士としてのキャリアは10ヶ月で終了
アメリカから帰国してすぐ、歯科衛生士としてのキャリアがスタートしました。
自分がこれまで座学で学んだことを実践する場。
期待とワクワクを胸に飛び込んだ先は、、
実に平凡であった、、。
毎日同じ時間に家を出て、同じ作業をし、帰宅する。
患者さんからの感謝の言葉に嬉しくなることはあるけれど、やりがいとまではいかない。
なぜならその仕事は、自分の貴重な時間を削ってまでしたいと思えるものではなかったからです。
「今の自分に満足しているか」
「毎日の生活に情熱大陸のBGMは鳴っているか」
答えは圧倒的にNO。
自分の人生の指針に反した環境に身を置いていること、このままこの環境に身を置き続けても得られるものはお金だけだという事に気づきました。
結局、新卒で入った職場は10カ月で辞めました。
発信者として生きることを決意
昔から飽き性で、中々物事を継続できませんでした。
学生時代のバイトも職務に飽きるか、人間関係がめんどくさくなるかですぐに辞めてしまう。
新卒で入った職場も10ヶ月で辞め、両親からは「何もかも中途半端人間」の烙印を押されました。トホホ。
「自分、なにができるんやろ。」
などと思いながらおもむろにインスタを開けると
“いいね39・フォロー19”の通知。
「あ、もうこれしかない。」
何もかも中途半端人間はそう悟りました。

実は、仕事を辞める数ヶ月前からインスタに英語日記を投稿してた私。
始めた理由は、英語学習の一環として。
前述した通り「飽き性で、物事を継続できない性格」なので、どうすれば英語日記を習慣化できるだろうか、、と考えた結果、SNSを日記の公開先に選びました。
誰かに監視されている環境を作って、「継続しないといけない」状況に自分を置くことにしたのです。
投稿内容は、英語日記の中で使った文法を紹介し、フォロワーさんにもメリットがあるような仕組みにしました。
その文法紹介が反響を呼び、自分の予想をはるかに超える方にフォローしてもらえました。
私が唯一、毎日継続できたこと。
それが発信活動でした。

誰かに雇用されてるわけでも、何か責任を負っているわけでもない。
食べていけるかどうかは、自分のスキルによって決まり、学生時代のアルバイト代よりも少ない自分の収入に絶望と焦燥感を感じる日々。
だけど、昔の比にならないくらいワクワクしてるのも事実。
明確な目標も、何者になりたいかも分からない。
けど、自分なら大丈夫という根拠のない自信を抱いちゃってるから多分大丈夫。
今までがそうだったみたいに、走りながら見つければいい。
社会からの信頼ゼロの今、もう何も失うものはないし怖いこともない。
自信の無さやネガティブなのはまだまだ健在中だけど、自分の行動とアイデアでいくらでも世界は広げられるということを、ここ1〜2年で証明できた。
あと言うまでもなく、変わりたいという貪欲さ。
この世界で自分はどこまでやれるのか、どんな結果を残せるのか。
2〜3年後に確認できればと思います。
ではまた!
